簿記おもろい。仕訳やってる。
有価証券と言えば、株式と社債。
株式については、簿記のほうと、会社法と、両方からその仕組みを追ってる。現実の側面と法的な(というか本来の株式の意味合いが)見えて面白い。
で、株式というか、いわゆる「カブ」として金儲けに使われているその株を、簿記の面から見てみる。
カブが現金になる場合は2つ。
①カブの配当金を受け取ったとき
配当金によりカネが増えるから左に(借方に)書く。簿記の絶対ルールだ。
(現金)100 (受取配当金)100
(現金)の反対側には(受取配当金)を書く。
左も右も増えてんじゃん、と違和感があるが、(受取配当金)は収益で、収益の増加は右側に書くらしい。覚えられん。無視。
現金が増えたら左に書く、だけ覚えて、その対面には、カブの配当の場合は(受取配当金)で書く、と覚えこんでしまうことにする。
②カブの売った(高く売って売却益を得た)とき
ここでもカネが増えるから左に書く。絶対ルール。
(現金)2,300 (有価証券)2,100
対面にくるのは(有価証券)。(株式)とか書かずに(有価証券)としてるトコは注意。
これは、カブ以外の有価証券(=社債とか)とまとめて有価証券という勘定に入れて、最終的な取りまとめ(=元帳への転記)の取りまとめるに使うからだろう。
で
(現金)2,300 (有価証券)2,100
だと左右バランスしないので、200円分を右にいれてやんなきゃいけない。ので(有価証券売却益)200 が立つ。
ここまででつまり、カブは2度おいしい。当たり前と言えば当たり前なんだが、配当金と売却益と、2度のタイミングで利益を生む(可能性がある)。
クズやな。ほんとクズい。なんか間違ってる。
2度の利益を産んだ時に、そのぶん社会で失われている利益が必ずある。どこかにその皺寄せがいっている。すぐには見えないだけで。
カブに感じる違和感はこれだ。
いや、仕組みはわかる。会社法を見れば「他人(株主)から資本を集める形で生業を起こす。株式会社にする。資本金の減少には大きく制限をかけて、出資を守り、利益が出た範囲においてのみ配当を許す。株主は債権者には優先しない。」と、ちゃんとした枠組みで、他人資本(カブ)で社会を回す仕組みが作られているように見える。
しかし。これは嘘だな。もともと一つの資本(カネ)でしかないものが、運用された結果、二重に(配当も売却益も)産むなんて、明らかにおかしい。その背景には、その対価として、潰れた会社、損をした企業、皺寄せを受けた消費者がいる。社会の犠牲がある。その犠牲で生まれた利益の上澄みが、数字で表に出てきてるだけだ。
やはり、ちゃんとマルクス読む必要がある。その利益の皺が、どこで、どう生まれて、何を苦しめているのか、しっかり学ぶ必要がある。
まずは仕組みから。数字の動き。それを生み出した考え方。法の背景。これをちゃんと固めて、その上で思想を学びに行く。