フランス人監督のドキュメンタリー
「聖者たちの食卓」
"神は農場 神は農民 神は穀物を育て 粉に引く"
真理は実労働に宿るということだろう。
マネーや株といった擬制資本など、虚構だ。
そんなものに踊らされて、カネを至上のものとして、本当の「富」を作り出しているのは勤労だという真理から離れてしまっている現代人は、白井聡の指摘するように資本に「魂を包摂」されてしまっているといえるだろう。
他方で
このドキュメンタリーの舞台であるインドでは今なお身分制(カースト)が色濃く残っているという点は興味深い。
白井によれば、労働力と土地の2つが商品化された社会が資本主義(資本制)社会だから
インドも資本制社会にはなっているわけだ。
かたや、資本主義社会では労働者は二重の意味で自由なはず。
① 身分制からの自由
② 生産からの自由(生産手立てを持たない=奪われている=無産労働者)
インドも資本主義社会だが労働者は①を手に入れていないように思える(カーストが残っているから)。
なのに資本の論理が行き渡っているということは、労働者が土地を追われ(自らの土地の所有を奪われて)そこでの生産手段を奪われてしまったこと(=②)は、資本主義のエンジンを回すうえで強力な力になっているということだろう。
資本論を読むと、ドラマや映画はほとんどが茶番であると分かる。
ドキュメンタリー(つまり現実社会)のほうが遥かに面白い。
この時期(9月)は例年稲刈りだ。イネを集め、脱穀して米にし出荷する。勤労ということが、どれほどの「富」であるかを実感できる。
ともすれば魂を包摂されそうな現代(資本主義)社会において、真理に触れる大切な機会だ。