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トランスクリティーク
柄谷行人は言う。「異なる共同体間での(等価)交換こそが剰余価値の源泉である」と。
生産の現場ではなく(だけではなく)交換の場。そこがロドスだ。飛ぶ場所だ。
ここでふと考える。
AIが発展しきった暁に、「異なる共同体間における、価値観の差異から剰余価値が生まれるような事態」つまり「1万円を10,000yenの価値があるものと交換したと思っていながら実際はその価値に差異があるような事態」が、果たして生まれるのだろうか?と。
それは人間同士の取引だから生まれるのでは?
教師学習で学びまくったAIどうし、お互いの共同体の特性を(AIが)学びまくって知っているどうしでの取引において、果たして、等価交換に見えながらその価値に差異がある(不等価交換である)ような事態が発生しうるのだろうか。
人間は、最小単位の共同体(家族)から出たとき、他人に出会う。
他人は分からない。その価値観も、価値を感じる意識体系も。自分にとって無価値であっても、他人にとっては価値があるかもしれない。
だからこそ交換が起きる。価値を創出する交換が。
向こうの大陸で、コレ(胡椒)が大変な価値を持つなんて、こっちでは分からない。クシャミをもたらすだけの粉末。こっちでは大した価値は無い。向こうが差し出してくれたシルクのほうが遥かに有用だ。向こうの(他人の)世界では何がどんな価値を持つのか、こっちの常識では計り知ることができない。そういう共同体間での交換こそが剰余価値を生み出す。資本の源泉。
でももし、向こうの共同体(での交換原理)がどういうものかすべて把握できているAIがこの交換を行うとしたら?1万円の胡椒は1万円のシルクにしかならないのではないか?そこに剰余価値は生まれないのではないか?
そうするとどうなるの?
価値の源泉が生産の場に移る。生産の場のみになってしまう。
交換過程では価値が生まれない(常にイーブン)になっちゃうから、元をたどって、モノを生み出す生産の場で、要は安く働かせてより多くのものを作ることが価値の源泉になっちゃう。
人間労働(だけ)が価値の源泉になっちゃうとすれば、それ(人間)自体をいかに効率よく生み出し廃棄するか。それが資本(機械)の関心になるだろう。