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これは資本への包摂を嘆く歌だ
木綿のハンカチーフ。年末に取りためていたラジオから流れてきた。
恋人の彼は「東京の絵の具に染まった」。つまり資本に食われたわけだ。
これが歌われたのは1975年。高度経済成長期。「東へと向かう列車で(都会へ)」と言っているから、山陰地方のどこかだろうか。電車と言わず「列車」と言っているあたりも、まだ全国に新幹線が引かれていないからだろう。
資本への反駁
恋人の言葉の端々に見て取れる。
・「いいえ」
・私は欲しいものはないのよ
・草に寝転ぶあなたが好きだったわ
・身体に気をつけてね。
他方、こういう動画も見た。
○□メガネの成田は嫌いだが
この動画だけは何となく見てしまったのだ
で、成田の言う「日本には経済的な格差はない(ゆえに分断は起きていない)」という指摘は一面はそのとおりで、かつて山陰地方では列車に乗って都会に出るのが一大事だったのが、今ではいつでもどこでもLINEで繋がっていて、つまり高度経済成長を経て、田中角栄の良し悪しは置いておいて、たしかに資本による富は(ある意味)平等に地方に行き渡り、この歌を聞いていても「化粧もしない女のほうが素朴すぎる、どこの人?」みたいな感想になっちゃうわけだ。
ただ、この歌に歌われている人間性の喪失は、イコール幸せの喪失なのか。(豊かさとは何か、という本も読み直したい)。皆の幸せの基準は今や、田舎と自然に還って共同体コミュニティで暮らすことよりも、全てが商品になってカネでのみ交換しうる無味乾燥だが便利な世界(新幹線でもどこでもいける)に移ってしまっていて、だからこれは過去の古き良き日本を回顧する歌と理解してしまうだろうし、それも一面やむをえない。
だがしかし、それならばなぜ、桑田もASKAも秦基博も橋本愛も、これほど古い歌を、今の今まで歌い継いでいるのか。歌い継がれているのか。これはやはり、資本に包摂されることへの人間の(無意識下かもしれないが)精神の抵抗だからだと思う(※ここで言う「精神」は、人間の生物学的なそれじゃなくて、ヘーゲルの言う「時代の精神」的な意味で)。
ガンダムがずっと見続けられているのも同じ理由だ。あれは単なるアニメではない。資本に抵抗してコミュニティとして暮らすことが本当にできるのか、独立はなし得るのか、革命とはじゃあどうすれば(なれば)いいのか。資本に抗する共同体は成り立ちうるのか?がテーマだから見続けられるのだろう。
翻って、資本主義の威力の絶大さを感じざるを得ない。2024年。正月2日に日航機が爆発した。事故のあったの3番滑走路が閉鎖なのは当然として(爆発の原因もわからないうちから)他の滑走路は運行再開したのが恐ろしい。もし万が一管制のシステムエラーが原因だとしたら、次々と衝突爆発してもおかしくないわけで、原因究明するまで全滑走路ストップするのがスジだと思うのだが。
これはつまり、飛行機の運行を止めると莫大な損害が(資本に)発生するから、それを回避するためなら安全ですら優先度は二の次で、運行を優先させるということだ。資本つまりカネ。これを回すためなら何だってやる。そうさせるほどの「カネ」の正体とは何だろうか。答えはやはり「通貨とは商品である。商品群の頂点にいる、物神性をもった商品だ」ということだろう。それがために、ときに人は人を殺めてでも争う。女性は身体を売ることまでする。カネ。恐ろしい商品だ。資本の原動力。
やはり今年は資本論を読もう。